ボランティア


先日、社会企業家を目指す人の交流会というのに参加しました。
そこで植木力さんという方にお逢いしました。
企業が社会貢献すること。
納税・雇用・・・それだけではないはず。
当社のように製造業であれば、良いものを作る。。。
??案外、どんな風に取り組めばいいのか難しいような気がします。

しかし、ここに伺えばすこしなにかが見えてくるような気がしてきました。


そして、お伺いした時にお名前のでた堀田力さんのHPに下記の内容が掲載されていました。
勝手にすこし抜粋させていただきます。

 『~ しかし、それはまだ、私の理解が浅かった。私は、ボランティアも寄付も、人のためにするものだと思っていたし、そういう利他の心(アルトルイズム)が生きがいを生み出すのだと信じていた。
  それが「ちょっと違うかな」と感じるようになったのは、1995年阪神・淡路大震災の時であった。私は、厳冬の日々を避難所で過ごされる高齢者の方々が心配で、仲間たちと現地に入り、そこで全国からリュックをかついで続々とやってくる若者たちに会った。
  「どうしてボランティアする気になったの?」と聞くと、かなりの若者が「え?これ、ボランティアですか?」と聞き返した。彼らには人に奉仕するというような考えはなく、「テレビで被災者たちの姿を見て、自然に足がこちらに向いた」と答えた。
  その時、私は「これは、人の本性だ」と感じた。そして「人は人を助ける遺伝子を持っている」と書いた。
  それから何年経った頃かはっきりしないが、私は、今も変わらない一つの確信を得た。「利他は利己と対立するものでなく、利己の拡大である」というものである。人に役立つから生きがいと元気が生まれるのではなく、人に役立つことによって自分の存在価値が確認できるから、生きがいと元気が生まれるのだということである。その精神構造は、事業経営者でも、サラリーマンでも、発明家でも、学者でも、専業主婦でも、みんな同じなのではなかろうか。決してボランティアの専売特許ではない。もちろん、政治家も、宗教家も、官僚も・・・・そうであってほしい。
  私がそういう考え方をするようになったのは、たくさんの仲間たちの生きざまを見ることができたからである。検事30年、主として悪いことをした人たちを見てきたが、その後の18年、いい人たちにたくさん出会うことができた。
  ボランティアをやっている人たちは、まず例外なく、いきいきとして元気である。
  やっていない人たちでも、何かに打ち込んでいる人たちは、同じようにいきいきとして元気である。ただし、心に曇りのある人は、別である。
  やることのない人は、いきいきとはいかない。寝たきりになっても眼がいきいきとしている人は、何かしらやるか、考えるかしている。寝たきりではないのに眼に光がない人は、自分の存在が肯定できないのであろう。そういう人は、病に弱い。
  今までで一番印象深かったのは、90を過ぎて寝たきりだった老婆である。彼女は手を動かすこともできず、口で動かすマウスでパソコンに自作の短歌を入力し、全国の仲間とネットで交流していた。その眼の力が忘れられない。日野原重明先生や、秋山ちえ子さんや、小山内美江子さんの眼のように、人への愛と自分への充足感に満ちた、深いメッセージを発する眼であった。
  何であってもいい、生きがいを持つことが自分の人生のために大切だと思う。それを持つことができない寂しい人々にそのことを説くのが、私の生きがいである。
  まことに僭越な生きがいだと思うが、私の元気のためである。お許し頂きたい。 』

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by daiko_sus | 2010-07-14 09:53 | 本物さん。  

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